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呪われた者として(女子学院中高礼拝)

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。(ガラテヤの信徒への手紙3章13-14節) 今年の中学 1 年生は緑学年と聞いていますが、私も 2001 年、緑学年の年に入学しました。皆さんが数ある私立校の中から JG を選んで入学したのはおそらく自由な校風に惹かれてのことではないかなと思います。 私もそうでした。在学時、教室の中にシャボン玉が飛んでいたなということを懐かしく思い出しています。けれども、私が JG を選んだのには、もう 1 つ外せない理由がありました。それはキリスト教の学校であるということです。(あまりそういう理由で、JG を選ぶ人はいないかもしれません) 私は元々キリスト教とは何の縁もない家庭で育ちましたが、小学生の時にふと、キリスト教の信仰を持ったら「いい人」になれるんじゃないかと思ったんです。 実際に JG に入学した後に教会に行き、中学 1 年生の時にキリスト教の信仰を持ち、高校 1 年生の時に洗礼を受けました。そして現在は牧師をしているわけです。 教会に行って「いい人」になれたかと言うと残念ながらなれませんでした。けれども教会に行くと「いい人」としての振る舞いが分かるようになるんです。 どういう風に人に受け答えすれば、愛があって誠実で敬虔な振る舞いとして受け取ってもらえるかわかるようになります。「いい人」になりたいという私の欲求は満たされたはずでした。 けれどもある時揺らぎが起こります。それはキリスト教が人を殺しているという事実と向き合った時でした。 もちろん、歴史の中でキリスト教が人を殺していたということをは知っています。異なる宗教を持つ人を殺し、信じている内容の違いで同じキリスト教徒を殺し、キリスト教国と呼ばれる国々が戦争しているということも知っていました。けれどもそれは過去の出来事であり、また外国の出来事でした。 それがある時、キリスト教会は現在進行形で人を殺しているということに気づいてしまったんです。 私は教会でどう受け答えするのがいい人としての模範解答かを身につけました。けれ...

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