美しい人生であるように(2025年2,3月学校礼拝)

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレトの言葉3:1)
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。(同3:11)

※2月終わり~3月初めの学校礼拝で語ったメッセージです。毎年年明けの礼拝担当は1回なのですが、今年は2回。最後だしチャプレンの配慮かな、と思いつつ感謝しながら思う存分語ってきました。高3スペシャルその2です。



今日が皆さんの聖望学園での最後の礼拝です。個人的なことになりますが、私も今日と来週が聖望学園でする最後のお話になります。皆さんが卒業するのと同時に私もこの聖望学園をこの 3 月で退職し、4月からは海の近くの教会で働きます。聖望学園には5年間お世話になりました。中学から通っている皆さんは私の 1 年先輩ということになります。
聖望学園での5年間は、私にとって本当に幸せな5年間でした。でも、同じ5年間、幸せなことばかりではありませんでした。
聖望学園に来た 5 年前は神学校という学校を卒業したばかりの頃でした。神学校では聖書の勉強をします。私は大学卒業後、神学校を7年半かけて卒業しました。仕事をしたりダブルスクールをしたりでしたが、卒業したらどこかの教会の牧師になるんだろうなと思いながら学んでいました。
そんな私にとって 5 年間聖望学園で働くということは想定外でした。
神学校に通っていた7年半、自分にできることは精一杯にやってきたつもりでした。それでも道は開けない。ストレスで起き上がれなくなったり、電車に乗ることができなくなってオンラインで授業をさせてもらったりした時期がありました。超多忙なチャプレンに何時間も話を聞いてもらったこともありました。
そんな私を見かねて、友人が神学校の校長のところに行けばいいとアドバイスくれました。ちょうど1年くらい前、母校の校長室で、もう私傷つきたくないですって散々泣きました。「どんな教会がいいの?」と言われて怖い人がいない教会がいいですと答えました。そして教会を紹介していただき、気づけばいろんなことが決まっていた。
これでつらい5年間が終わる、そういう気持ちが湧いてきた時に思ったんです。もっと早く校長室に行っていれば、こんなに傷つかなくてよかったんだって。もしも 5、6 年くらい時間を巻き戻すことができたら、私は迷わず校長室に駆け込むだろう、って。
そして同時に思ったんです。時間を巻き戻すなんていうことができなくてよかった、って。5 年前に戻れるなら、私は今の人生とは違う人生を選びます。苦しんで傷ついて寝込んだり電車に乗れなくなったりする未来と、そうでない未来があったら、誰だって「そうでない未来」を選ぶと思う。好き好んで苦しい方を選ぶ人はいないと思う。でも、そうしたらこの 5 年間に出会ってきた人と出会えない、経験したことを経験することができない。聖望学園で働くこと、皆さんと出会うことはできないからです。自分で選べた人生ではないからこそ、私は皆さんと出会うことができました。自分の選択では決して手に入れることのできなかった宝物です。
私が校長室に駆け込むのが1年早くても、皆さんの授業を担当することはできませんでした。そう考えると、今日読んだ聖書の箇所のように「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と思うのです。神さまが私たちの生きる「時」というものに関わってくださっているんだと思うのです。
私が実際に生きたこの 5 年間は、しんどい5 年間でした。でも同時に、とても美しい5 年間でもありました。この5年間があったから、私の人生は豊かになりました。
みんなと出会えて、一緒に生きることができて、ものすごく豊かで美しい時間を過ごさせてもらいました。前回の礼拝で言ったように、私は皆さんから生きる力をもらっていました。かけがえのない5年間でした。

人間には、自分の努力ではどうにもならないことがあります。努力したら必ず順調にうまくいくわけではありません。勉強もそうです。部活もそうだっただろうし、趣味や人間関係もそうです。努力で100%に近づけることはできても、100%にすることはできない。人間にはコントロールできない領域があります。その領域を「神の領域」と呼ぶことができるかもしれません。だから人生は豊かなんだと思います。
聖書は「神を信じなさい。そうすれば、全部あなたの思い通りになる」とは言いません。
今日お読みしたコヘレト3:11は別の日本語訳では「神のなさることはすべて時にかなって美しい」となっています。「あなたの人生を神は美しくする」そういうのです。神は責任をもって豊かで美しいものにする、って。
人生には思い通りにならないことがある。だから人生は不協和音のある美しい音楽であり、効果的に影の入った美しい絵であり、奇想天外な美しい物語です。
いつも礼拝では「こんな風に生きてほしい」ということを伝えていました。自分や他人のいのちを美しいものとして信じ、大切に生きてほしい。悩み苦しむことを恐れないでほしい。ひとりじゃないって思っていてほしい。そういう「こんな風に生きてほしい」ということはもう伝えきってしまいました。だから、最後はみんなのためにこう祈っていますということをお伝えして皆さんを送り出していきたいと思います。
皆さんはこれから困難に遭うはずです。困難のない人生はないからです。思い通りにならない人生に苦しみ、傷つき、もがくことになると思います。今まさに、そういう状況の人もいるかもしれません。そんな時に、「神のなさることは時にかなって美しいのだから我慢しろ」とは言いません。苦しいものは苦しい。悲しいものは悲しい。逃げたいときは逃げたって良い。
それでも。振り返った時に、美しかったと思える人生を歩めるよう心から祈っています。
どんなに苦しいことがあっても、思い通りにならなくて道が開けなくて努力が無駄になったかのように思える時があったとしても、今がそうだとしても、それでも美しい出会いがあり、美しい経験をし、そしてますます豊かな人生を送ることができるように心から祈っています。高校3年生の皆さん、先生方、今まで本当にありがとうございました。



※不定期更新中

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