「クリスタの経血」と私(詩)

キリスト新聞社さんの『別冊ミニストリー』に「クリスタの経血」という詩を掲載させていただきました。
【新刊】 別冊Ministry 2025年7月号 特集「マッチョな権力者の話は聞き飽きた」 - キリスト新聞社ホームページ




できたら「クリスタの経血」をお読みいただいた後にこのブログを読んでほしいのですが……皆様にお任せします。

作品の解説をするのは野暮だと思っているのでしませんが、「クリスタの経血」が誕生するまでのお話だけしてみようかなと思います。(血・女性・詩の三部作)今回は「詩」です。

「美好ゆか」は短歌を発表するときの筆名です。好きな歌人(山川登美子・伊津野重美)から「美」の字をとり、かっこつけない、大袈裟でない、等身大の歌を詠みたいという思いから本名をひらがなに開きました。大好きな「山路きて何やらゆかしすみれ草」の「ゆか」でもあります。
短歌を詠み始めたのは中学生、それから大人になって忙しくなって一時期短歌から離れましたが、鬱をきっかけに再開しました。
中高くらいの時は詩も書いていましたが、大人になってからは詩を書くことはありませんでした。神学校親善ソフトボール大会で歌ってくれ、と神学校の校歌は作詞したことがありますが歌ってもらえませんでした……

去年の秋、『別冊ミニストリー』のお話をいただいた際、「何を書いてもいい」と言っていただきました。エッセイでも鼎談でもいい、内容もジェンダーやフェミニズムに関わることでなくてもいい、好きなことを好きなかたちで書いて良い、とのことでした。

その時ちょうど、どこかで書きたいと思っていたテーマがありました。
それは、以前書いたブログ記事バテ・シェバの表情に関係しています。ここでも私が詠んだ短歌を引用していますが、これまでに聖書に出てくる女性をテーマにした歌は何首か詠んできました。サラやエリサベツはどれだけの絶望を経験してきたのだろう、マリアの処女懐胎の記事を読むたびに心を刺すものの正体は何だろう、聖書に書かれていないこと、説教では語られないこと、でも、確かに私の心に浮かぶものを私は短歌にしてきました。
それらは「釈義」とも「神学」とも呼ばれないものかもしれないけれど、確かに「ある」ものでした。

2年ほど前、いくつかの歌をある女性にまとめて送ったことがあります。

血はいのち誰のためでもないならば垂れてグラジオラスを染めあぐ
からからと笑うことしか許されぬサライの悲哀 涸れた砂地で
語られぬエリサベツの痛みを測るきつく結んだウェストのリボン/美好ゆか

これはほんの一部ですが、確かに「ある」ものを詠んだそれらの歌を、その方はご自身と重ねてくださいました。
「ある」ものは、聖書の物語のすぐ近くに「ある」ものであり、私自身の物語の中に確かに「ある」ものでした。その「ある」ものが、だれかに受け取られ、だれかの中に「ある」ものと響き合うことがあるのだなとその時に思いました。そして、私の中に「ある」ものが、だれかの中に「ある」ものと響き合った時、私は私の中に「ある」ものが、確かにそこにあると強く確信できるのだと思いました。

そして、いつか「ある」ものたちを何かのかたちにして発表することができたらと思うようになりました。
それこそ「フェミニスト神学」として論文にまとめることもできたかもしれません。でも、私にとってそれらの「ある」ものは、論文よりももう少し感情的なものでした。
はじめに浮かんだのはエッセイでした。どこか連載させてくれるところはないかな、と思いつつ「バテ・シェバの表情」「サライの笑い」「エリサベツの腰紐」等のタイトルを考え、その中で、ずっと自分の中にあたためていた「クリスタの経血」という言葉が浮かびました。『別冊ミニストリー』のお話をいただいたのは、ちょうどその時です。
そして、私の中に「ある」ものは「クリスタの経血」という言葉でまとめられるのではないか、と思い、気づけば詩を書き始めていました。

私にとって短歌は祈りです。神さまにさえ自分の弱さをさらけ出すことのできない私が、唯一素直に弱さを認められるのが短歌です。「ささげ物」という言い方をしても良いかもしれません。私は短歌を詠んで、そしてそれを神さまにささげます。それは私にとって祈りの行為です。
私はこんなに悲しい、こんなに傷ついている、赦せない、赦されたい、愛したい、愛されたい、聴いてほしい、でも誰にも知られたくない……そんな思いが短歌の言葉と共にでてきます。「クリスタの経血」もそうでした。

人はそうやって詩を書くのかもしれません。聖書の中にも詩文体の記述があります。そこには生々しいほどの感情が表現されています。詩歌とは、心のうちに「ある」ものを注ぎ出させてくれるものなのだと思います。

「クリスタの経血」が、だれかの物語の中に「ある」ものと響き合っていくことを願っています。そして、「クリスタの経血」が確かに「ある」ものであることがだれかに届いたらと願っています。