発達障害と信仰④カサンドラ症候群【限定記事】

カサンドラ症候群(カサンドラしょうこうぐん、Cassandra affective disorder)、カサンドラ情動剥奪障害(カサンドラじょうどうはくだつしょうがい、Cassandra affective deprivation disorder)」とは、アスペルガー症候群の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である[1]カサンドラ症候群 - Wikipedia


Wikipediaの説明にある「アスペルガー症候群」は現在では「自閉症スペクトラム障害」と呼ばれているものです。ただし発達障害と信仰①生きづらさを抱えて生きる (amazingscale.blogspot.com)でも書いたように「ここからが自閉症スペクトラム、ここからがADHD」と区分けできるものではないので、「発達障害」と読み替えてもいいと私は思います。
ちなみに、発達障害と違ってカサンドラ症候群は診断名ではありません。
ただし、カサンドラ症候群の人たちの痛みも切実なものです。
「カサンドラ」という名称はギリシゃ神話に出てくる、太陽神アポロンから「カサンドラの予言をだれも信じない」という呪いをかけられたカサンドラという女神からとられています。
カサンドラ症候群の人たちも苦しみそれ自体だけではなく、自分の苦しみの原因がわからないことと苦しみの現実を周囲に理解してもらえないことで悩んでいます。
「周囲に理解してもらえない」というのには理由があります。まず、配偶者(あるいは家族や身近な人)が発達障害であると言わなければ理解してもらうことはできませんが、配偶者(家族、身近な人)であっても他人の属性を勝手に話すことはできません。(「アウティング」という行為に当たります)そして、たとえ話したとしても「夫婦なんてそんなもの」「男の人(カサンドラ症候群になるのは妻側が多いみたいです)はみんなそう」と理解されないことが多いのです。

以前も紹介しましたがカサンドラ症候群についてはぜひこちらのブログをご覧ください。

カミングアウトしていてもいなくても発達障害のゆえに苦しんでいる人が沢山いるのではないか、と思っていますが、ということは、その人たちと同じだけカサンドラ症候群で苦しんでいる人も沢山いるのではないかと思うのです。

私が結婚生活に困難を覚えたのは新婚一年目の時でした。当時は夫が発達障害であると知らず、特性ゆえの言動を理解することができなかったため、「こんなはずじゃなかったのに…」と思うことの連続でした。夫が発達障害だと診断されたのは結婚して3年目、夫が神学校に入学した直後でした。夫の言動がわざとではなく特性ゆえのものだと知り、はじめは安心しました。けれども、夫の言動に傷ついたり嫌な思いをしたりしても「障害だから仕方ない」と我慢するようになり、心がどんどんすり減っていきました。当初は障害をオープンにもしていなかったので誰かに相談することもできませんでした。また、私自身人との間に境界線を引くことが苦手だったため、夫の問題をすべて背負い込み、完全にキャパシティーを超えた生活をしていました。
そんな生活の終わりが突然やってきました。二年前の冬に私がになったのが転機でした。起き上がることすらままならない状態になった私は、夫の問題を背負い込むことができなくなりました。家事はすべて私がやっていましたが、夫に頼らざるを得なくなりました。そして夫が神学校を続けることが私にとっても夫にとっても負担である、ということを認めてその年の春に夫が就職しました。春には私の鬱もだいぶ良くなっていましたが、やはり家事を抱え込むことはできない状態でした。
すべての人にあてはまるわけではありませんが、私の脱カサンドラに役立ったことを挙げておきます。

①鬱
私が夫との問題を切り離すことができたのは私の鬱がきっかけです。手を抜くことができるようになり、夫に頼ることができるようになったこと、そして夫もやろうと思えば家事ができると気づいたこと、その他さまざまな夫にまつわる問題を手放しても生きていけると気づいたこと。そのためには、私が強制的に活動停止させられる必要があったのだと思います。鬱は神さまからのプレゼントだったと思っています。

②夫の就職
私が夫の問題を手放すことができるようになったのは、夫の問題を他にも担ってくれる環境ができた、ということでした。また、神学校には通えなかった夫が職場には行くことができている、というのは発達障害の人の特性である「人のためになら力を発揮できる」というところが大きいと思います。(こんな研究もあります➝KAKEN — 研究課題をさがす | 利他的動機づけが認知的コントロール能力に及ぼす影響の解明 (KAKENHI-PROJECT-16K21230) (nii.ac.jp))夫自身にとってもひとりの大人として認めてくれてイキイキ働くことができる環境というのはとても貴重なものだったようです。

③カサンドラの仲間との出会い
上記のブログを見つけたのが一年半前の春。私達にそっくりな夫婦がいることを知り、ブログを書いている方とやりとりをするためにTwitterを始めました。それまでカサンドラであることを人に話すことがあまりできませんでした。カサンドラの困りごとは身近な存在である発達障害当事者とのコミュニケーションによるものですが、うまく伝えることができなければ「どこの夫婦もそんなもの」で片づけられてしまうか夫が悪者のように伝わってしまうだろうと考え、人に夫婦関係の悩みを相談することができずにいました。ちなみに医者に悩みを相談した結果、わかりきった正論で返されて余計カサンドラが悪化した、という経験もしていました。医者の正論でカサンドラが悪化したという話は他のカサンドラさんからも聞いています。どんな痛みであれ、正論は人を救わないものだと改めて思います。話は逸れましたが、人に話すことのハードルはかなり高かったのですが、同じカサンドラであれば少し状況は違います。もちろん発達障害が十人十色であるようにカサンドラも様々です。ですが、他の人よりも困りごとや日々の喜びを伝えやすく、そんなカサンドラの人たちとのコミュニケーションで心が軽くなってきました。SNSやリアルの知り合いの中にカサンドラの友達ができたことは私にとってとても心強いことでした。

④発達障害をポジティブに受け入れるようになったこと
カサンドラの仲間との出会いも影響していますが、少しずつ発達障害をポジティブにとらえられるようになってきました。それまでは絶対に知られてはいけない秘密だと思っていましたが、だんだんとADHDの夫と生活するのって楽しいな、と思えるようになってきました。発達障害と信仰③御国に過集中 (amazingscale.blogspot.com)でも書いたように、「特性も悪くないな」と思えるようになってきたのです。決して「発達障害でよかった」「カサンドラでよかった」とまでは思えないのですが、それでも、これが私達夫婦なのだ、と受け止めることができ、発達障害当事者夫婦であることが当たり前になり、夫婦の会話の中で「ADHD」がマイナスなものとしてではなく愛すべき属性として使えるようになりました。ちなみに、発達障害当事者夫婦だからこそ楽しめるおすすめ作品があるので当事者の方も当事者家族の方も特性を理解したいという方もよかったらぜひ➝作品情報|プーと大人になった僕|ディズニー公式 (disney.co.jp)

発達障害もカサンドラもしんどいものではあります。しんどいけれど楽しいこともあります。しんどさも楽しさも分かち合っていくこと、背負い込まないでいられる環境に身を置くこと、そのうちにそういうものなんだと受け止めていけること…そういうことが私にとっては脱カサンドラに役だったかなと思っています。


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