えっちゃんのこと
でも「りっぱな最後」で消えてしまうのならあまりうれしくないなあー。人生は「生きて」価値あるものなんだ。死の讃美なんてうれしくない。キリストも死んだきりなら淋しいと思うだろうな。復活があるから死のみにくさがなくなっているのだと思う。
島秋人『遺愛集』64頁
9年経って、ようやくえっちゃん(三歳年下の妹)の納骨式でした。
人生初の納骨式の司式がえっちゃんの納骨式になるとは思っていませんでしたが、もしかしたらそのために(そのためだけではないけれど)私は献身したのかな、とふと思いました。
数分前に自分が言ったことも忘れるほど記憶力の悪い私でも、9年前のことはくっきりと思い出せます。
あの日は日曜日でした。教会近くのコンビニで授業準備(タラントンのたとえの絵本をコピーしていた)をしていたときに牧師から告げられたこと、そのまま牧師夫妻と病院に行ったこと、教会の駐車場でチャプレンに「生徒には忌引きではなく病欠と伝えてほしい」と頼んだこと、誰かにえっちゃんのことを覚えていてほしくて色々な人に必死に連絡したこと、友だちが葬儀に来てくれたこと、会堂にLyreの曲が流れていたこと、式次第の「恵理佳姉妹」という言葉に母親が感激していたこと、告別式の日に食べたファミマのカレーナンがおいしかったこと、えっちゃんはご飯を食べられなくなって死んだのにカレーナンがおいしいと感じることにものすごく罪悪感を覚えたこと、ご飯を食べたくないと思ったこと、えっちゃんはア・ラ・カンパーニュのタルトよりおいしいものを食べていると当時は婚約者だった夫に言われたこと、えっちゃんが亡くなる前日に一緒にカラオケに行った先生に謝られたこと(N先生は全然悪くないのだけど)、神学校の家族寮で舞茸と小松菜の澄まし汁(Sさんのごはんの中で一番好きだった)を作ってもらったこと、結婚式を延期するか悩んでいたら祖父に予定通り5月5日にするように背中を押されたこと…
それから数年、私が喧嘩をしたからえっちゃんは死んでしまったんじゃないかとカウンセリングで言ったら「関係ない」と言われたこと。
身内びいきではなく、えっちゃんは信じられないくらいの美少女でした。摂食障害にならなければ有名になっていたんじゃないかと思うくらいの天使みたいな美少女でした。やっぱり身内びいきかもしれません。
精神年齢は良くて小学校低学年くらいで止まっていたと思うけれど、その分人の悪意というものを理解できないような純粋さがありました。
大好きな、大切な妹でした。
大切な妹でした。
先週の学校礼拝でえっちゃんのことを話しました。説教原稿のアウトラインを読んでびっくりした、とチャプレンに言われました。「私、礼拝で話したことありませんでしたっけ」そういったけれど、多分、9年経ってようやく、ようやく人前で話せるようになったんだと思います。
そういえば授業で「父のことは話せるけど妹のことはまだ話せない」って言ったことがありました。
礼拝で、「どんな死も理不尽だ」という話をしました。私には父やえっちゃんやちょうちゃん(もうひとりの妹、愛犬)の死を「時にかなって美しい」とは思えません。
人生は生きて価値あるものなんだ、と思っています。
だからこそ、死で終わりではなく、その先も続いていくいのちがあるということ、えっちゃんとまた「生きて」再会できることが希望なんだと思います。
天国には父が最期に食べることができなかったステーキがある、ア・ラ・カンパーニュのタルト以上においしいものがある、私は本気でそう信じています。
えっちゃん。その時まで、ねぇねはこっちでおいしいもの食べているよ。パパとちょうちゃんによろしく。またね。