究極の当事者性



…それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。
エレミヤ書31章20節

ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところへ来ると、見てかわいそうに思った。
ルカの福音書10章33節


私とキリスト教倫理の出会いは、一般的には「偶然」、キリスト教っぽい言葉を使うと「導き」でした。

そもそも大学院に進んだのは研究したかったからではなく、職業柄せめて修士の学歴が必要だと思ったから、というとても消極的な理由でした。その中でもキリスト教倫理を選んだのはほぼ消去法、一応性の問題に関心はあったものの、どちらかというとそれよりも強かったのは「無難だから」という理由でした。
そんな理由で大学院に進学した私ははじめ研究室の中で浮いていた、ように私は感じました。実際のところはわかりませんが、真剣に研究しようとしている人たちの中で、自分はここにいてもいいのか、と肩身の狭い思いをし、胃薬を飲みながらスタートした院生生活でした。
ですが、大学院の二年間は私にかけがえのないものを沢山与えてくれました。
中でも、同じ研究室の先輩に言われた三つの言葉は、今でも私にとって大切な宝物です。

一つ目は、性別違和を抱える方を指して「当事者」という言葉を使った時でした。

「あなたは『当事者』ではないのか」

と言われたのです。

「あなたはシスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性別と自認している性が一致している人)であり、性別違和を抱える人が生きづらい社会を構成している一員だ。加害者側だ。それでもあなたは自分が『当事者』ではないかのように、被害者のことを他人事のように『当事者』と呼ぶのか」

正直その時「揚げ足取りだ」と思いました。他になんていう言葉を使ったらいいのか、とも思いました。
けれども、いまあらゆる問題と向き合う時自分が当事者性をもって課題と向き合っているのか問われます。この問いかけが私の中に響いています。
そして同時に、意識の上で、「当事者」であるかどうかを選べる立場にいる自分も意識させられます。


二つ目は、私の研究自体への問いかけです。

「あなたは性別違和を抱えている人を研究対象としている。人を研究対象として扱うことは暴力ではないか」

研究の根底を否定されるような言葉でした。
何と答えたかは覚えていませんし、今でも何と答えたら良かったかわかりません。強いて言うなら「そうですね」としか言えないと思っています。
人を研究対象として扱うー正確には人の痛みを研究対象として扱うということの暴力性。けれども、あらゆる倫理的課題は「人間」を扱います。倫理的課題と向き合うのに、「人間」を研究対象として扱うことからは逃れられません。

指導教授からは「人を研究対象として『我とそれ』の関係で扱うのではなくブーバーの言うように『我と汝』の関係で向き合いなさい」と言われました。
精一杯「それ」ではなく「汝」として向き合おうと努力して研究しました。
けれども、「研究対象」である以上、自分が特権的な階級にいる、ということから逃れることはできませんでした。

当事者性のなさ、当事者であろうとしても当事者で「あろう」とすることを選べる自分、特権的な階級…理解しよう、寄り添おう、そう思えば思うほど、そんな風に思う自分は何様なんだろう、今まさに痛みを覚え苦しんでいる方がいるのに、その方々を自分の学問の対象にする、自分の理解を深めるための道具にしようとしている、そういう自分の暴力性に葛藤しました。
そういう自分の暴力性と嫌というほど向き合い、それでもその暴力性から目を背けながら論文を書き上げました。

そして、その暴力性と向き合わされたことは、私にとって貴重な体験だったと思っています。

今でもたまに「あの時私がしたことは『暴力』に過ぎなかったのか」と自分に問うています。答えは出ません。出したくないのかもしれません。
そんな時、同じ研究科の先輩の本の「あとがき」にこんな文章を見つけました。

それは、クィア神学を学ぶ中で絶えず胸に棘として刺さっている自身の特権的な立ち位置のためでもある。筆者はシスジェンダーの異性愛者であり、また贅沢なほど教育を受ける機会に恵まれた中流階級の人間であり、さらに日本国籍を持った「日本人」として本土に生きている。こうした自身の持つありとあらゆる特権が「クィア」な視座を学ぶ中で絶えず自分に突き刺さって来る。[…]こうした自身の立ち位置ゆえに、このあまりに大きな差異を超えてなおレズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々や、また階級や人種・民族が違う人たちと「共に生きる」ことなどできるのだろうか、という問いは常にある。
工藤万里江「あとがき」『クィア神学の挑戦』

けれども、工藤さんはこう続けています。

しかしあらゆる抑圧的な規範に抵抗しながら、また互いの差異を強く認識しながら、なお「共に生きる」ための術を探し続ける姿勢は、クィア・アクティビズムにもクィア理論にも共通して見出だせるものだと考える。[…]それは安易に「連帯」などという言葉を用いることができないほどの深い断絶を直視し続ける営みといえるかもしれない。しかしそれでもなお、この世界をもがきながら生きるために、そして願わくば「共に生きる」ために、「愛する方法を徹底的に問」い、「愛がこの世界に何をもたらすことができるかを考える」営みとして「クィア神学」を追求してみたいと思う。
同上

安易に「連帯」などと言えない。深い断絶がある。それでも、「共に生きる」ことを模索し続ける…そういう姿勢を私も持っていきたいと思うのです。

私は自分が倫理の専門家になることはできないと思っています。
暴力性を完全に排除して、痛みを覚えている人と完全に「連帯」することもできないと思っています。
でも、生涯かけて「共に生きる」ことと格闘していくものでありたい、そういう倫理の実践者でありたいと思っています。

最後はいつも心のどこかに残っている問いかけです。
「福音派」ということで、私は研究科の中で異質な存在でした。他にも福音派の院生はいましたし、中には福音派の牧師もいたのですが、全体の中では少数でした。聖書を神のことばと信じ、信仰と生活の唯一絶対の規範とする私に福音派ではない先輩がこう問いかけたのです。

「あなたは何故そんなに聖書を重んじるのか。そこの公園で路上生活者の方から『水を飲ませてほしい』と言われたら、あなたは聖書を開いて隣人愛について考えるのか」

聖書と隣人愛についていろいろ言い返しましたが、考えれば考えるほど味わい深い問いかけだったなと思います。

ルカ10章の「よいサマリア人のたとえ」で「かわいそうに思った」と訳されている言葉はσπλαγχνίζομαι」(スプランク二ゾマイ)という動詞です。名詞σπλάχνα」(スプランクナ)は「はらわた」。
傷つき倒れている私たちを見て、神さまははらわたが捩れるような痛みを覚え、その痛みに突き動かされて私たちを助けてしまう。そこに隣人愛の理屈も何もない。ただ、私たちの痛みがお腹の底から神さまの痛みになってしまい、愛の行為をせざるを得ないというだけ。神さまの愛は究極の当事者性です。

私がキリスト教倫理で目指したいものは、この神さまの究極の当事者性なんだろうな、と思っています。
今の私にはあまりにも遠いものであり、そもそも人間が到達することのできるものであるかわからない、そして一歩間違えばものすごく独りよがりなものになりかねない、けれども、「キリスト教倫理」にはお腹の底からの痛みが必要なのだ、と私は思っています。